達者で長生きするために 

達者で長生きするために     NO182.R4.3

コロナ禍ではあっても、毎日冬季オリンピックのTVに釘付けになって大喜びしたり、ハラハラしたり、口惜しがったり、歳を忘れて自分の感情を爆発させたこの数週間でした。
もうこれで終わりと思うと自分が空っぽになってしまうような、脱力感に襲われそうな、そんな不安さえ覚えます。
その後皆様にはお変わりなくお過ごしですか?
寒かった今年の冬も、庭の土の中から少しずつ頭を出してくる植物を見ると春の訪れを確かなものとして期待して,待つ自分が居ます。
八十数年間、こうして春を待つ日々を迎えたわけです。
初めて小学生になった春,終戦を迎え、ソウルから郷里宮崎に引き揚げた後迎えた春!父の転勤で北の果てに近い岩手県に引っ越して、始めて迎えた雪国の春!
それは沢山の春がありました。
でも今年の春はまた格別な春になりそうです。
今年は茨城の孫娘が大学を卒業し 、2年間のインターン生活が始まります。
そしてこの3月、お付き合いしている方のご両親に茨城においでいただき皆で顔合わせの会が行われます。
相手の方は大学のスキー部で一緒だったとか….。
彼は企業の研究室に就職し新生活が始まります。
孫娘はこれから2年間インターン生活が始まるわけで、それを支えてくださるかと思うと申し訳ない気もします。
若い2人が自分たちで考えて選んだ道!ばあちゃんは「おめでとう。体に気をつけて仲良くね」としか掛ける言葉もなく只2人の健康と倖せを祈るのみです。
そしてもう1人、教えることが大好きで、そういう仕事についている弟孫がいます。その子にも早く幸せが巡ってくるよう願っています。
孫娘の二人のほうは2年間のインターン終了後お世話になった先生方や友人たちを招いての披露の会を催す予定のようです。

1941年(昭和16年) 2月19日はアメリカ大統領が在米の日本人達を強制収容するため大統領令を出した日とか先日ラジオのニュースで聞きました。
終戦後お世話になっていた熊本の伯父の弟の家族は、以前からアメリカに住んでいました。
それで1955年(昭和30年)春、終戦後ふるさと訪問の第一便としてアメリカの伯父が叔母とともに帰国しました。
その時熊本から上京した伯父夫婦を案内して上野の旅館にアメリカの伯父さんを尋ねました。
戦争を間にして兄弟の再会は何十年ぶりだったのでしょうか。熊本の伯父は体は小柄でしたが肌は長年の太陽の恵みで艶やかに日焼けし、アメリカの伯父は背が高く肌色も白く外人ぽい。住む環境で、食生活でこんなに違ってくるのか、、。
18歳だった私は驚いてしまった記憶があります。
その後2人はアメリカの伯父夫婦を伴って、熊本へ帰り伯父夫婦は何十年ぶりかの故郷をゆっくり堪能され、楽しんで帰られたそうです。
先日の昭和16年の強制収容のラジオのニュースから上野の旅館でお会いしたアメリカの伯父さんのことを思い出したのです。
クリーニング店やアパート等の経営をして子供、孫と身内も増え幸せに暮らしているご様子でした。
戦時中は店を知人のアメリカ人の友人に託して強制収容所に入ったこと、収容所生活から解放されたとき店を託していた友人に店を返してもらい、またその仕事を続けることが出来たこと、今は何不自由なく子供や孫たちに囲まれて暮らしていること。戦争中の苦労話など何もせず自分や子供たちと幸せに暮らしていることに感謝している姿に、その立派な生き方に感激しました。
過日放映された終戦後何十年目かの記念のドラマでは日本人の辛い暮らしなども描かれていましたが、以前の伯父の感謝の生き方に感銘を受けたことを思い出しました。
人間とは不満を言えば不満が募って来、感謝をすれば感謝の気持ちが集まってくるんだなぁとそんな気がします。

ロシアのプーチンさんの様子が、、、、、と不安なニュースが耳に入るようになったのも束の間、戦争が始まりました。
戦争は何にも代えがたい人の命を失い自分たちの血と汗で築いた財産をも失い、お互いへの思いやりとか人間らしい愛の気持ちも失ってしまいます。
領地の問題とか複雑な国際問題が多いようですが、なぜ時間がかかっても話し合って譲り合って解決できないのでしょう。
命も財産も失うことがどんなにつらく悲しいことか経験して知っているはずではないですか?こう言っている間にも人の命が失われていると思うと気が気ではありません。1日も早い解決を祈ります。 

このところ空が青く、空気の澄んだ日々が続きうれしい限りです。
春風は東から吹いてくるからでしょうか。
西からの風は中国の工場の排気ガスを一緒に運んでくるのでいつもどんよりと濁った空気を運んで来てました。
以前、長崎を旅した時もたくさんの島々が汚れた空気で霞んで見えたのを覚えています。
青空と澄んだ空気は元気と勇気を与えてくれます。人間にとっても、植物にとっても 1番のご馳走です。長く続くことを祈ります。
                            竹野 歌於子

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