達者で長生きするためにNO.178

達者で長生きするために       No. 178 R3.10

朝夕の温度差の変化!天気の良い日の空の高さ!花壇の花の元気のなくなった様子、季節の変化を肌で感じるこの頃です。

世間ではコロナ騒ぎもワクチン普及である程度落ち着いた様に見えますが、変異種などの発現で医療機関のベッド利用率は相変わらずとか・・・

医療に携わっている方にはまだ気の抜けない状況の様子、本当にご苦労様です。 皆さんの頑張りがあってこそ我ら市民は緊張を続けながらも毎日の生活を続けることが出来るのです。又、自民党総裁選を前にしてTVも新聞も賑々しく活気づいて何か落ち着かない毎日ですね。

皆さまはいかがお過ごしですか?この一番過ごしやすい季節と云うのに私は9月始め家の中で転んでしまい、まだ痛みも取れず物に掴まって移動すると云う不自由な日々を送っています。骨に異常はないと云う事ですが、年を取ると回復が遅いせいなのか、なかなかです。リタイヤして家に居る訳で時間もたっぷりあるのに何をそんなに急ぐの?と娘に云われましたが、長いこと仕事に追われてアクセクしていたせいか、それが性分となって猫のメリ子が亡くなった後、16歳のミニチュアダックスが大分ボケたようで、自分のトイレで用を足すことを忘れてあちこちで粗相をするようになって「マロンがオシッコした!」というひ孫の声に自分の部屋から飛び出して足を何かに引っ掛けて転んでしまった…と云う訳です。相当ひどい転び方をしたようで、まあ骨折しなくてよかった!と云う事でしたが老人の打身と云うのは時間がかかるようです。

新聞を見るとドイツのメルケル首相が16年もの間国民の信頼を得ながら引退のようですがまだ60代とか、まだまだ政治家としては働き盛りですのに・・・と惜しい気持ちでいる人は多いのではと思います。コロナが始まった時ドイツで働いていた日本人のピアノ教師の話が新聞に載りましたが、あの時のドイツの対応は素晴らしいものでした。 外国人である日本人のためにすぐお金の手当ができたのです。

そして難民の受入れとか、種々動きのスピーディなこと、そしてコロナの急激な拡散時のロックダウンをしなくてはならない時の国民への説明の言葉等、理由をはっきり述べる、そして国民の理解を得る、とても解りやすい…..新聞を読んでそう思いました。

ベルリンの壁のあった時代は東ドイツに住んでいた方だとか…….。

私が薬大に入学した頃西ドイツの青年とペンフレンドになっていたことがあります。私達の時代に学んだ薬学はまだドイツからの影響が多く、ドイツは憧れの国だったのです。西ベルリンに住んでいた彼は高校を卒業してすぐ働いている人でした。弟さんは東ベルリンに居て、プリズンに入っていると云うことでしたので、家族も分断されると云う辛い経験をしていたのでしょうね。英語での文通でしたが、英語が大の苦手だった私には手紙を読むのも辞書と首っ引き、書くのももっと時間がかかる大変な作業でした。昔のことなので白黒ではありましたが、ドイツの古いお城の写真集が届き、ドイツ語をすべて英語に訳したものが添えられていました。とても親切な方でしたが、私が二年生になると各教科の実習が一斉に始まり、翌日にはレポート提出をしなくてはならず忙しい毎日になって、とても続けて手紙を書くことができなくなり文通も途絶えてしまいました。そんなことがあったのでドイツには何か親しい思いがあるのかもしれません。メルケルさんはあれだけ力のある素晴らしい方なのでこれからもいろいろな分野で活躍されることと思います。期待しています。

世の中はどんどん進歩し、先日は民間人の宇宙旅行が行われたり今度はいよいよ電気自動車の時代へ。ドローン、空飛ぶ車、ヘリコプターと次々と空の時代。そして発電も宇宙でするのでCO²が出ないとか何かで読みました。

最近遠隔でいろいろなことが出来る様になってきていることが紹介されています。土木作業、コンビニの品出しなど、ロボットがする時代になるとか作業の様子がTVで流れていました。

ここ10年の間には世の中想像出来ないくらいの変化があるのでしょうネ。

昨日の新聞に石川啄木のことが載っていました。私はソウルからの引揚げ後、父の仕事の関係で小4の後半から高2まで約7年間を岩手で過ごしました。中学の頃啄木の研究をしていられる先生に出逢って啄木のことを学びました。今でも啄木の歌は時にフッと頭に浮かぶことがあります。

「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて空に吸われし15の心」(新聞掲載)

有名な歌です。私はこの歌の書いてある花瓶をもっていたのですが、沢山の引っ越しをしているうちに無くしてしまいました。この歌を聞くといつも思い出す歌があります。「教室の窓より出でてただ一人彼の城跡に寝にいきしかな」

城は不来方城のことです。私は後の歌の方が啄木の淋しさとか孤独、悩みを表している気がするのです。

「はたらけどはたらけど なおわが生活(くらし)楽にならざり じっと手を見る」(新聞掲載)この歌も胸に迫る歌ですが、「猫を飼はば又その猫が争いの種となるらむ悲しき我が家」 この歌に連がって行く気がします。

何か分野の違うことを書いてしまいましたが熱心に学んだ中学時代の思い出です。

     竹野  歌於子

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